アセンションぷりーず!

ことの発端は、忘れもしない2015年4月6日(月)。この日、私の意志とは関係なしに、我が第六感が花開く。 『スピリチュアル』の”ス”の字も受け入れられなかった私が今、強制的に自分のスピリット(魂)と真っ向から向き合うことになった。一体私の身になにが起きていて、これから何が始まるのか。人間は?地球は?宇宙は・・・? 予測不可能のこの世界。待ったなしの強制スピリチュアル街道まっしぐら。藁をも掴む思いで生き永らえた私の軌跡をここに。28歳ニート(♀)、今日もなんとか生活してます。

2015年2月上旬 痛み

『もう、こんなことやってらんない!』

 

 

 

気功教室は、頭金を納めるとすぐにスタートした。

 

 
 
 
 
実際この教室でやるのは基本的に、気を巡らせやすい身体を作ること。メインは全身を気で満たす木のポーズ的な気功と、次に身体をゆるませる気功、そして瞑想の3つだった。
 
毎回マンツーマンでポーズや考え方を指導してくれるここの教室長である女性の講師は、いつも安定したふんわりとした雰囲気だったが、私の細かな変化や発言には、言葉に出さずとも敏感に反応し彼女の中で見事にデータ化されていった。
なにしろ私のしょうもない話やその言葉尻を、「えっ、私そんなこといってました?」と私が覚えてないことが頻繁にあるくらい記憶力と観察力が半端ではないのだ。
おそろしい。 
 
 
メインの木のポーズはとてもシンプルで、肩幅に足を広げて全身の力を抜き、両手を胸の前で大きなボールを抱えるように構えてそのまま40分間、気を頭上と足の裏から流しまくるというもの。気についてなにか特別なことなどを教わることもなく、ただそのポーズで耐えるというだけだった。超スーパーシンプルである。
 
 
 
ただ、気の巡りにくいガチガチに固まった身体に気を通すには、痛みが伴った。
体の力を抜くことができないほど心身ともに限界で、更に昔から姿勢が悪く、猫背&胃下垂だったことがその痛みに拍車をかけた。木のポーズをすると肩のあたりがたまらなく痛い。10分で限界をむかえる。
 
 
それを、この日でもう15回くらいやっている。
心のどこかで、もっと気功っぽいというか、
秘儀的なのを教えてくれるのではないかと、半ば期待していた部分もある。
回復する見込みもなく、ひたすらこればっかりやらされて
肩周りを走るあまりの痛みに
『こんなこと、本当に意味があるの?』
と聞いてしまった。
気功師はとにかく気を流す練習だとの一点張りであった。
その不満をやや嫌味のように態度に出してしまった。
その日のレッスンはそれで終わった。
 
 
 
 
身体を走り回る痛みはしばらくして、私の疑いを怒りに変えた。
次の日も次の日も、そのポーズをやるたびに痛みに襲われた。 
こんなの、あまりにもシンプルすぎる。
もっとすごい即効性があるものだと思ってた自分もいた。
こんなことに本当に意味があるのかと、詐欺に合っているのではないか。
テレビでおばあちゃんが宗教とかで引っかかってる
なんとか商法というやつじゃないのか。
 
想像が止まらなくなると集中力がまるでなくなってくる。
そして痛みに集中し始める。
家での練習も促されたが、もうそんな気は毛頭ございませんという感じで、そしてスタートして1ヶ月で悪循環に至った。
 
 
 
もうやりたくない。
返金してくれはしないか。
時間の無駄じゃないのか。
でも元気になりたい。
他の方法を探そうか。。
 
 
 
 
 
と気功から気を逸らしたその時、一瞬冷静を取り戻した自分に問うた。
 
 
 
私はなぜこんなことをしているのか?
身体の気が足りず、身体が絶不調だからだ。
 
私はなぜ身体がこんなに痛いんだ?
今まで自分の身体に耳を傾けようともせずに無茶をしたからだ。
 
私は今なぜ気をチャージしに来ているのに身体が痛いんだ?
そのボロボロの身体に気を流して、身体が治ろうとしているからだ。
 
私はなんでイライラしている?
目的を忘れ、信じることを忘れ、
やらされてるという被害者意識でこの痛みに堪えられないからである。
 
 
 
 
 
 
・・・。
そうだ。そうです。そうなんですよね。
別に誰も強制的にこんなことさせてませんね。
すべては自分が望んだこと。
痛みで頭が占領されていっぱいになって、すっかり忘れていた。
 
 
わたしったら・・・。
「いやだもぉ。」と自分の勘違いをごまかすのにおばちゃんがよくやっている片手を口元に当て、もう片手で前方にヒラヒラさせるのをやりたくなった。
そして、この動きはもしかしたら女脳にあらかじめプログラムされていて、ある程度の条件が揃ったら自然に出てしまう動作なのかもしれない。と、次の瞬間に思った。
 
 
そしてなにより、私がこの人なら救ってくれると信じた気功師さんを
今では信じられていなかった。とても失礼なことをしたと、反省した。
 
それからは私は心を改め、毎日練習するようになった。
身体に変化がなくても、希望を見据えて。
 
 
 
 
スタートして約2ヶ月すぎ。
 
あのまま放っておけば、おそらく病気になっていたんだろうなと始める前の振り返って思えたのは、気が巡り始めた手応えがあった2月上旬頃のことだった。
 
身体の歪みが徐々に取れ始め、まっすぐに立ったり座ったりできなかった身体が、ある日突然どこにも寄っかからずに椅子に座れることに気づいた。内側に入った肩が少し開いた。なにより、自分の血液の色が明るくなったのだ。(女の子の日やで)
 
猛練習した甲斐があった。
 
 
 
希望がさらに膨らんだ。
私は元気になれる。
また昔みたいに、イキイキと過ごせる日がくる。
あと、もう少し。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方その頃、
 
 
 
 
 
異様な空気を醸し出していたガジュマルさんは、
異常なペースで葉をつけ始めていた。
 
 
はじめの1ヶ月は、寝室の居心地が悪いのか、葉が歪んだり、落葉したりしてイマイチ調子が悪かったガジュマルさんを、リビングのいちばん日当たりの良い場所に置き、毎日穴が開くほど観察していた。初めて育てる木を、ただ元気になることを祈って。
 
 
すると、ある日を境に爆発的に葉が芽吹き出した。
1月下旬ごろだった。
その日に何かがあったかは覚えていない。
でも、半月で倍の葉がついた。とても青々とした艶のある葉。
乾燥しないように霧吹きで葉水をした。
 
誰かそこにいるような気配と、それが、なにか喜んでいるように感じる瞬間すらある。
ときに、瞑想をしながらガジュマルに意識を向けてみたりした。
自分ではおかしいと思いながらも、「あなたは誰ですか?」と問うたこともある。
 
答えは返ってくることはなかったが、その代わりに部屋の気が変わるような、
すごくご機嫌な感じがした。 
頭がおかしくなったと言われてしまうかもしれないが、
まるで私の考えてることや話してることが伝わっているみたいだった。
 
世話をするのが楽しくて、おはようや、ただいまというのが楽しくて、
この頃にはもう、ガジュマルさんを家族のように感じていた。
 
そんなこんなでガジュマルさんの気配は未だに正体不明だが、
ガジュマルさんといると
 
 
 
 
本当に、そこに人がいるみたいだったんだ。
 
 
 
 
 
 
 
覚醒まで、あと2ヶ月。