2015年3月末日 そんで、気って一体なんなんだい。
気ってなんだ。
愛ってなんだ。
気も愛も同じで、地球から均等に降ってきてるんじゃないのかい?
気は最後なにかと円を描く。つまり、地球が丸いってことと関係あるのかい?
だからブーメランの法則で、自分が発したものは地球をぐるっと回って返ってくるのかい?
類は友を呼ぶから、引き寄せの法則が働くのかい?
私は愛情の受け渡しが下手だから、気の巡りが悪いのかい?
このままいくと、自分の思ったこと、すべて叶えられちゃうんじゃないかな・・・?
もしかして、わたしは大変なことに気づいちゃったんじゃないか・・・?
これだけの気付きや妄想が、実際に、リアルに、どんどん肌で感じられるようになっていった。
楽しい反面、こわかった。
あまりにも即効性がありすぎるのと、
しあわせを受け取る自分への許しと、曲がった思い込みの修正ができていなかったから。
頭の中にあるものすべてが目の前に映し出されている感覚は、映画館を彷彿とさせ浮かんできたのは
「こ、これが、プロジェクターの気持ちか・・・。」
ではなく、
「これが、今の自分か・・・。」
だった。
そして、自分の気がどんどん満ちていくたびに、ガジュマルさんの気も相乗効果で上がっていく。
ガジュマルさんは、私が外でなにか体につけてきても、
家に入る前にご機嫌の気で祓い落としてくれた。
我が家は、私だけのパワースポットだった。
自分の気が上がると、周りの人も変わっていき、パートナーとも別れ、戦場のような職場も3月いっぱいで辞めることにした。
新しい職場は決まっていて、4月からすぐに始まる予定。
さらに、新しいパートナーの気配も感じていた。(この時、まだ出会えてないけど)
とんでもなくご機嫌で、ハッピーでピースフルな人。弾けんばかりの笑顔で一緒にいるだけで心が温まるような人。きっとそんな人とこれから出会うはず。
それは、確信に近かった。
これから何でもできそうな気がして、輝かしい未来が目の前に広がっている感覚でいっぱいだった。
ただし、1つだけ問題があった。
それは、気が丹田に降りてくれないこと。
気の器こと丹田さんに気が納まってくれなかった。
そこに納まってくれないと、せっかく気をチャージしても抜けやすくて勿体ない。
なぜ納まってくれないかというと、奇妙なことに、気をヘソの下に降ろそうとすると、心当たりのない悲しみが身体いっぱいに広がるのだ。
とんでもなく大きな、抱えきれないほどの罪悪感と悲しみ。
それを十分に感じる前に、恐怖で気が上に上がってしまう。
あまりにも強い感情で、自分から目を背けてしまう。
気のせいだと思っていたが、気功を始めてから、それを何度も体感していた。
気功師さんに聞いても、カルマがなんちゃらって言われただけで、よくわからなかった。
そのことだけが気がかりだった。
そんな3月の末日、ピンクちゃんから連絡がきた。
『今度の週末、サンバサンバでチャネラーさんが来るんだって。キリンもこない??』
ん?『チャネラー』ってなに??
なんだか、『どこかの世界とつなげて話をしてくれる人』、みたいな。
『どこかの世界にアクセスすることができる人』、みたいな。そんな説明だった。
なんかよくわからないけど、サンバサンバもしばらく行ってないし、
ピンクちゃんにも会いたい。
二つ返事で
『わかったよ。じゃあ駅前に集合で。』
次にサンバサンバに行く日が、
覚醒前日。
私たちがアクセスしたのは、
全く未知の世界だった。